人気ブログランキング | 話題のタグを見る

尾道の歯科・歯医者すーちゃんのブログ


広島県尾道市の歯医者、すーちゃんのブログです HC7になりました
by su-chan231
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

お花見

こんにちは。尾道市の歯医者・歯科医のすーちゃんです。



4月になりましたが、まだまだ寒い日がつづきますね。





尾道市には千光寺公園というお花見の名所がありますが、その起源を探ってみました。





そのお花見も起源を探ると、豊作を願う農耕行事だったそうです。




昔、庶民の間では「山遊び」「磯遊び」が決まった日、





(温暖な地方では3月3日、寒い地方では4月8日)に行われていました。





これは、忙しい農耕や漁労の仕事に入る前に、




春の一日を野山や海辺に出かけて、




遊んだり飲食したりする習わしだそうです。




物忌みのひとつで、この日は労働を休まなければならないとされていました。





春は、山から神様がきて田の神になり、




農耕が順調にいくように見守ってくれる季節とされていました。





山遊びは、その山の神を迎えにいくための風習が形を変えたものでした。





山へ入って飲んだり食べたりするのは、





神と人が一緒に食事をする「直会(なおらい)」という儀式だそうです。





また、お花見といえば桜ですが、




「サクラ」は農耕の神、田神(サガミ)がいらっしゃる場所、




「座」(クラ)を表していて、桜は里に下りてきた神様の居場所を示すものとされました。





人々は桜の咲き具合を見てその年の作柄の豊凶を占ったり、





花の下でお酒や食べものを供して豊作祈願をしたりしました。






一方、宮中では、奈良・平安時代から花見の宴が持たれ、





杯を酌み交わし、詩歌を詠んでいたようです。





ただ、奈良時代までは中国文化の影響が強く、





「花」といえば梅のことを指していました。





「花」といえば桜のことを指すようになったのは、平安時代です。





お花見の起源とされる二つの文化があったようですが、





このような農民的文化と貴族的文化が江戸時代に融合して、





庶民の娯楽としての「花見」が確立されたと考えられています。





今夜あたり、千光寺の夜桜でも観にいってこようと思います。

by su-chan231 | 2012-04-07 10:29
<< さいあく~!最悪? あおいくま >>